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茶道と禅宗は関係が深い。以下のような言葉がある。

千利休「茶の湯は、第一仏法を以て修行得道する事なり」(「南方禄」)

山上宗二(利休の高弟)「茶の湯は禅宗より出でたるに依って僧の行を専らにする也。珠光、紹鴎も皆な禅宗也」(「山上宗二記」)

千宗旦「茶禅同一味」

「茶事は禅道を宗とする事」(「禅茶録」)

武野紹鴎の遺偈には「料知す、茶味、禅味と同じことを」とある。

現代でも『主客一如 禅と茶 無からの発想』(近藤道生、尾関宗園、尾関紹保著、金融財政事情研究会、1995年)という書籍が出版されている。著者の一人・尾関宗園は大徳寺大仙院の住職である。

茶会では禅僧の墨蹟がよく掛けられる。「南方録」に「掛物ほど第一の道具はなし、客・亭主共に茶の湯三昧の一心得道の物也、墨跡を第一とす、其文句の心をうやまひ、筆者・道人・祖師の徳を賞翫する也」とあるとおりである。

上記文言の和訳は以下の通りである。「道具の中では掛け物が第一であります。客も亭主も、ともどもに茶の湯の道を究めることによって、精神の高みに到達しなければなりません。掛け物はその指標となるものです。それには墨蹟がもっとも適切であります。まず、その語句の心を知ること、次にその筆者である求道者、または禅僧の徳を敬うのです。」(戸田勝久訳『南方録』教育社、1981年、108頁)

以下の解説がされている。

「其ノ掲グル所ハ修養ニ資クル語類ニシテ、静坐瞑想ニ耽ルベキ草庵ニハ至要ノ者ナレバ、一心得道ノ者ト云ヘルナリ。」(柴山不言『喫茶南方録註解 上巻』茶と美舎、1972年、163頁)

「客も亭主も、その墨蹟の文句によって心を統一し、席の情調を保ち、茶の湯の精神を浄化するものであるからで、これが本当の点茶の醍醐味である。」(中村直勝『茶道聖典 南坊録』浪速社、1968年、115頁)
http://yaplog.jp/hayariki/archive/622

禅宗では仏像や仏画の代わりに自ら師とする人の書蹟を拝することから墨蹟が尊重され、茶の湯の世界でも倣っている。村田珠光が大徳寺の一休宗純に参禅し、印可の証明として授けられた墨蹟を、茶席に掛けたのが由来とされる。このように禅僧との関係性を抜きにして墨蹟を論じることはできない。

禅寺の中でも茶道は大徳寺と関係が深い。京都の臨済宗の寺院には寺の特徴から名づけられた愛称がある。妙心寺「そろばん面」、相国寺「声明づら」、東福寺「伽藍づら」、建仁寺「学問づら」、妙心寺「算盤づら」、大徳寺「茶づら」と呼ばれる(筒井紘一『茶人と名器』(主婦の友社、1989年)94頁)。
http://hayariki.zero-yen.com/hayariki3.htm#27
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