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筒井紘一『茶人と名器(茶の湯案内シリーズ)』(主婦の友社、1989年)は高名な茶人と名器と呼ばれる茶道具を紹介した書籍である。取り上げる人物は村田珠光から近代の益田鈍翁(益田孝)に至るまで幅広い。

名器の作者にも触れている。たとえば宮崎寒雉は金沢で活躍する一流の釜師であり鑑定家でもある。宮崎寒雉は、加賀藩主前田家の御用釜師として代々寒雉を名乗り当代に至る。加賀藩の鋳物師であったが、前田家に出仕していた裏千家四代家元の仙叟宗室に注目され、特色ある釜を作るようになった(167頁)。

千利休の茶道の流派は表千家・裏千家・武者小路千家に分かれる。表千家三代・元伯宗旦の三男・江岑宗左が不審菴表千家となり、宗旦の隠居所を四男・仙叟宗室が継ぎ今日庵裏千家となり、さらに次男・一翁宗守が官休庵武者小路千家を称する。

この三千家の分立によって千家茶道は安定的な発展を遂げることになる。宗旦の代では乞食宗旦と言われながらも武家に出仕しなかった。権力者の気まぐれで滅ぼされた千利休の轍を踏まないためである。三千家に分かれた宗旦の子どもの代になると宗左が紀州徳川家に出仕したように大名家の茶道となっていった。

日本では「たわけ」の由来を「田分け」とするように分裂を弱体化とみる幼稚な見解もあるが、三千家の分立が発展の要因である。このお陰で明治維新の文明開化の荒波にも生き残ることができた。一家のみで統一を保っていたならば家元の権威は競争相手がいないために高くなるが、硬直化して廃れたかもしれない。どこかで途絶えた可能性もある。

「たわけは田分け」自体も迷言である。鎌倉時代の所領(田畑)の分割相続を「たわけ」として止めた結果が南北朝の騒乱であった。南北朝の騒乱が長引いた原因は皇国史観に見られるような天皇家への忠誠心では決してない。分割相続から排除された側が別の天皇を錦の御旗として利用したためである。「田分け」をしなければ相続紛争が激化するだけである。(林田力)
http://hayariki.jakou.com/3/4.htm
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